IRIDeS NEWs | 東北大学 災害科学国際研究所 IRIDeS

2017.5.8

ラジオパーソナリティ・板橋恵子さんと研究者との意見交換

IRIDeSは災害・防災に関する学術研究所です。その研究内容が人々の安全に直結するため、IRIDeSは社会発信を重視し、広報室も設けています。今村文彦所長をはじめ、IRIDeS研究者は、メディアからの取材依頼にも、極力、円滑に対応するようにしてきました。

 

しかし、多くの研究者は社会発信の専門家ではなく、取材にあたり、メディアのスピード感への戸惑い(「大至急、今日中にコメントを!」ということもよくあります)や、意図しなかった内容で報道されてしまったという声が、広報室に寄せられることもありました。

 

そこでIRIDeSで、研究者がメディア関係者と話し合い、相互理解を深めて妥協点を探るための少人数意見交換会を実施してみることにしました。毎回、さまざまなメディアからゲストを招いてお話を伺い、研究者として疑問があったらぶつけます。

 

今回は、ラジオパーソナリティの板橋恵子さんをお招きしました。研究者側は、IRIDeSの森口周二准教授(土砂災害)、佐藤大介准教授(歴史)が参加しました。

 

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板橋恵子さん

板橋恵子(いたばし けいこ)さん ラジオパーソナリティ、エフエム仙台防災・減災プロデューサー。エフエム仙台で、長年にわたってさまざまな番組の制作を手掛ける。

 

2004年から東北大学の今村文彦教授(現・災害科学国際研究所所長)をパーソナリティに迎えた防災啓発番組「Sunday Morning Wave」(日曜朝8:25~8:55)を制作。

 

2006年~2010年まで、災害時の非常食のレシピを募集する「サバ・メシ*コンテスト」を企画・実施、日本イベント産業振興協会主催の「第3回日本イベント大賞」制作賞を受賞。2011年以降毎年発行している「サバ・メシ防災ハンドブック」の監修を務めている。

 

仙台市・防災会議委員、杜の都の環境をつくる審議会委員。

 

 

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防災にかかわるようになったきっかけ

 

 

板橋:前任者の企画を引き継ぐ形で、2004年4月から、今村先生をレギュラーパーソナリティに迎えて、防災啓発番組「Sunday Morning Wave」をスタートしました。当時、発生確率が高まっていた宮城県沖地震へ備えなければ、という意識が社会にあったのが企画の発端です。

 

それまでは、おもに音楽番組を担当していたので、実は、番組スタート時には、防災に関してまったく知識がなく、リスナーと一緒に学んでいくつもりで制作に臨みました。番組のスタイルも、防災を前面に出すのではなく、ボサノヴァのような日曜の朝にふさわしい音楽を間にはさんで、気軽に聴いていただけるようにしました。

 

 

道のりは険しかったが、東日本大震災で一変

 

 

板橋:FMラジオは音楽番組がメインで、当初、防災番組に関しては、社内的にも、社外的にも、あまり協力を得られませんでした。スポンサーがつかず、かなり早朝の時間帯への移動の話もありましたが、2008年に東北大学からご協賛をいただけることになり、なんとか持ちこたえることができました。

 

また、食を通して、防災への意識を高めてもらおうと企画した非常食のコンテスト「サバ・メシ*コンテスト」が、全国FM放送協議会「JFN賞」優秀賞、「第3回日本イベント大賞」制作賞を受賞したことで、少しずつ社内の見方が変わり始めましたが、やはり、その空気が一変したのは、東日本大震災でした。「震災前から防災番組を作り、防災啓発のイベントを行うなど、防災に熱心に取り組むFM局」として、社外からも高く評価されるようになりました。企業にとっても、防災への取り組みが喫緊の課題になったことで、協賛が得られやすくなりました。いまや、『防災』は、営業的な意味でも、会社にとって欠かせない大きな柱のひとつになりました。

 

ここまで続けてこられたのも、ひとえに今村先生のおかげです。メディアを通して、防災に関するさまざまなことを人々に伝えることを大切に考えてくださり、お忙しい最中でも、確実に時間を割いてくださいました。長年にわたる熱意と関与には、本当に感謝しています。東日本大震災直後も、翌早朝に駆けつけてくださり、専門的な立場からの注意喚起を発信することができました。

 

震災後、「激しい揺れが起きた時、番組で何気なく聴いていたことが頭をよぎって、とっさに身を守ることができた」「サバ・メシ*コンテストに参加していたことで、(地震についてイメージができていて)子供たちが落ち着いていたので助かった」という声をいただきました。普段、何気なく聴いていたことが、オリのようにたまっていき、いざというとき役立つ、災害が起きた時をイメージして非常食を作ってみましょうという呼びかけも、少なからず功を奏したようでうれしかったです。

 

このような防災番組を長く続けるのは、なかなかむずかしいかもしれません。数字が取れないのがあたりまえ、スポンサー獲得も簡単ではありませんが、メディアの大きな役割のひとつであることを認識して、局の姿勢として続けていくべきだと考えています。

 

 

メディアから見た研究者: 東日本大震災の前と後

 

板橋:震災を契機に、研究者は大きく変わったと思います。震災前は、研究成果の中でも、一般の人にわかりやすい部分を選んで発信する傾向があったように思います。

 

しかし、震災後は、「自分たちの研究は、本当に人々の役に立っていたのか?」という大いなる反省から、かなり実践的なものが加わってきたと思っています。まさに、「実践的防災学」ですね。研究者の皆さんが、内向きではなく、「人々にわかりやすく、確実に伝える」姿勢に変わってきたと感じています。

 

 

 

メディアについてここが疑問:研究者からの率直な声

 

 

森口周二准教授

森口:私は土砂災害の専門ですが、いつも土砂災害が起きた後に、メディアから大至急で取材依頼をいただきます。そして土砂災害のシーズンが終わると、取材依頼はパタッと来なくなります。そしてまた災害が起きると、同じことが起きる。その繰り返しです。

 

また、すでにメディアに話したことのある同じ内容を、取材のたびに何度も話さねばなりません。正直、メディアにとって、研究者の肩書きと名前だけが必要なのでは、と疑問に思うこともあります。

 

佐藤:言ったことがまだ社会に浸透していないから、同じことを何度も聞かれ、何度も言うのは仕方ないと割り切らざるを得ないのかもしれません。

 

 

災害記憶の風化が問題

 

 

佐藤大介准教授

板橋:今の大きな問題は、災害記憶の風化です。防災に一生懸命取り組んだところも、担当者が変わるとそこまで、ということがあります。

 

子供たちの非常食作りに熱心に取り組んでいたある中学校も、主導していた校長先生が退任された後は、全く行われなくなりました。それまで積み上げてきたものが引き継がれないのです。こうしたことが、災害の記憶の風化につながるのだと思います。

 

佐藤:記憶の風化は歴史的にもよくあることです。天明年間、1780年代の東北地方では大きな飢饉がありましたが、その経験を忘れて十分に備えをせず、1833年の天保飢饉でまた大きな犠牲を出してしまいました。飢饉の記録自体は残っているので、「完全に忘れる」というのではないのですが。

 

森口:土砂災害についても同じです。土地の所有者が変わると、災害情報が引き継がれないことがよくあります。

 

 

防災研究者とメディアのよりよい関係に向けて

 

板橋:普段から、研究所とメディア間の連携がとれていて信頼関係があれば、研究者の側から「こんなことを発信したい」と提案していただき、報道することも可能です。いざ、災害が起こったときも、適任の研究者にすぐにご連絡をとり、ご出演いただいて、迅速な発信ができると思います。

 

たとえば森口先生には、土砂災害のシーズンとなる梅雨入り前の時期に番組にご出演いただいて土砂災害の啓発をしていただく、佐藤先生には、歴史的な観点から、コミュニティづくりについて発信していただくなどはどうでしょうか。

 

 

<懇話会を終えて>

 

防災に関する理解が得られない中、長年、地道な取り組みを続けてこられた板橋さんに、ただ頭が下がる思いでした。ラジオ番組で、硬い防災のイメージをやわらかくして、音楽とともに気軽に聴いていただく工夫は、広報室としても大いに参考になりました。普段からのメディアと研究者の信頼関係が災害発生時に役立つこと、また、研究所側からの主体的な発信が可能だとわかったことも収穫でした。

 

災害記憶の継承は、まだ誰も解決していない大問題です。学術とメディアで協力して取り組んでいきたいと思います。

 

(IRIDeS広報室 中鉢奈津子)

 

 

(懇話会実施:2015年12月24日)

 

 


 

【お問い合わせ】IRIDeS広報室 電話 022-752-2049、Eメール koho-office*irides.tohoku.ac.jp (*を@で置き換えてください)

 

 

 

 

 

 

 

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