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2022.3.4

広報室コラム 『私にとっての東日本大震災』

 

広報室長 江川新一 教授
災害医療国際協力分野

 東日本大震災から 11 年が過ぎようとしています。忘れもしない 2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分、金曜日午前中の外来診療を終え、東北大学医学部 2 号館 8 階の自室にいた私は、 突然の激しい揺れに身動きできず、ぼんやりと「ああ、宮城県沖地震だ。これは相当に強い地震だな」と感じました。第 1 波の揺れが収まってほっとしたのもつかの間、第 2 波のさらに強い揺れが来て、本棚から落ちてくる本を横目に見ながら、「自分の部屋は割と狭く四方に柱があるので、それほど弱くもなさそうだ、倒れて下敷きになるような重量物もないな」 と判断し、「ああ、これで天井か床が抜けたら死ぬのだな」と思いながらも、「もし助かったときにこのコンピュータがなかったら困る」と考え、自分のノートパソコンを抱えながら揺れに耐えました。揺れが収まってすぐに、医局と遠隔の実験室にいた全員の安全を確認し屋外に避難しましたが、東北大学病院災害対策本部がすぐに立ち上がったという全館放送に応え、災害対策本部に参加し、院内と関連病院の被害把握に努めました。東北大学病院内には 艮陵協議会という関連病院が連携する NPO 法人があり、私は2008年から事務局長として運営に携わってきました。その経験と、持ち出したノートパソコンが、状況把握に大いに役立ちました。

 震災の翌年、当時病院長であった里見進先生が東北大学総長に就任され、私は IRIDeSの災害医学研究部門災害医療国際協力学分野の教授を拝命しました。膵臓癌という難治がんを抱えた患者さんたちと多く接してきて、「人は誰しもいつか必ず 死ぬ。また、この宇宙にも地球にも始まりと終わりがある」ということだけが、私にとって間違いないと思えることです。 なぜ我が国が世界一の長寿と災害に強い社会を達成してきたのかが、当然とも不思議とも思え、また、通常医療と災害医療の相違点・共通点を解き明かしたいと思いました。その後、震災時はよく知らなかったDMATや災害拠点病院、災害医療コー ディネータ、広域災害医療情報システム、広域搬送などの災害医療体制と東日本大震災後の深化などを勉強しながら論文にしてきました。

 2015 年第 3 回国連防災世界会議で策定された世界の防災指針「仙台防災枠組」には、health という単語が 34 箇所にも 使われ、SDGs や気候変動適応枠組とも調和しながら、人々のからだとこころの健康を守ろうとしています。災いは必ず起 きますが、災いは転じて福となり、福となすのは人間です。一人一人、短い命、されどなくてはならない命を大切にしていただきたいと思います。

 
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